2017.04.05

心変わり ミシェル・ビュトール/岩波文庫

心変わり (岩波文庫)
心変わり (岩波文庫)
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ミシェル・ビュトール
岩波書店
売り上げランキング: 273,408
2017.03.11

女性作家が選ぶ太宰治 講談社文芸文庫

女性作家が選ぶ太宰治 (講談社文芸文庫)
太宰 治 江國 香織 角田 光代 川上 弘美 川上 未映子 桐野 夏生 松浦 理英子 山田 詠美
講談社
売り上げランキング: 279,120

「女生徒」

この短編を読んで、舞城王太郎という作家を思い出した。どうしてかって言うと、「女の子」が書かれているからなのである。可愛らしさ、って、こういうことなんだろうな、と思う。とても現代的で、そうキュート。

「恥」

ストーカー気質の女性を描いた短編なのだけれど、このちょっと面倒くさそうな人物を、茶目っ気よく書いてしまえるのが太宰治で、バタ、バタと動き回る女性のなんと魅力的なことか。ユーモラスな一編。

「母」

選者の川上弘美が<しびれます>と描いている通り、最後の一行は奇跡ですらある。

「古典風」

こちらも、最後の一行がすべてを物語る。たぶん、ここに作者が書いた(内容でなく文字としての)<幸福>は、真っさらで、純白の澄み渡った<幸福>である。でも、だからこそ、どこか狂っている。<幸福>という言葉のなかには、「本当に?」という、小さくも拭い難い疑念の染みが、いつだって取れずに残されていて、でもそれがゆえに<幸福>が<幸福>足りえているのだとしたら、あまりに漂白された<幸福>は、やっぱり狂気なんじゃないか、と思うのだ。太宰治の意地悪なところを見た気がした。

「思い出」

太宰治は、女性を「女性」としてではなく、「その人」として書けてしまうのだ。だからどの女性も、生き生きとして、おもしろい。

「秋風記」

甘美、と選者の松浦理英子はこの小説を評する。言い得て妙。死はやっぱり、甘い。

「懶惰の歌留多」

それが、書評でも、評論でも、ビジネス文書でも、メールでも、なんだっていいのだけれど、書きあぐねた時は、なんでもいいから書き出してしまうこと。そうすると、案外なんとかなったりするもので、結局は生むが易しなんだよなあ、と思うことが結構ある、というより、毎度である。この精神を体現した短編が「懶惰の歌留多」である。いろはにほへと~、書き出しの頭文字なんて、よそから貰ってきたもので十分。それさえ決まってしまえば、その一語が、一文を生んでくれる。一文が、次の一文を生み、またその一文が、あらたな一文を用意し、生む。繰り返され、ある時、そのまとまりは小説になる。

ちなみに、この短編、冒頭から恨みつらみというか、仕事しない言い訳がつらつらと吐露されている。で、その終わりに<ジッドは、お金持ちなんだろう?>とあって、笑ってしまう。なんだろう、この素直な妬みは。これが、ぽんと書ける太宰治は、そりゃあ愛されるよなあ。

収録作:「女生徒」「恥」「母」「古典風」「思い出」「秋風記」「懶惰の歌留多」

2017.02.21

宝石商リチャード氏の謎鑑定 辻村七子/集英社オレンジ文庫

宝石商リチャード氏の謎鑑定 (集英社オレンジ文庫)
辻村 七子
集英社 (2015-12-17)
売り上げランキング: 4,835

辻村七子による「宝石商シリーズ」の第一弾である。大学生の中田正義は、ある日、ひょんなことから、宝石商のリチャード・ラナシンハ・ドヴルピアンと出会う。超のつくほど美形のリチャードは、訪問販売のため日本を訪れていたのだが、質の悪い酔っぱらいに絡まれてしまう。そこに割って入ったのが、正義だったのだ。

本作は、専門家探偵と天然助手のバディものである。探偵の蘊蓄(この場合はもちろん宝石)に、人情味あふれる物語、と王道をいく。

リチャードが正義にロイヤルミルクティーの淹れ方を教える場面で、おっ、と思った。

コンロのつまみをガチガチ動かす手つきのおかげで、俺は初めてこの生きた宝石も人の子なんだと思えた。

宝石のような<人間やめたレベル>のイケメンの人間臭さを表現するにあたり、コンロのつまみを持ち出す作者の感性、侮りがたい。なるほど、コンロのガチガチに、イケメンも凡人もないのである。

2017.02.17

インサート・コイン(ズ) 詠坂雄二/光文社文庫

インサート・コイン(ズ) (光文社文庫)
光文社 (2016-11-25)
売り上げランキング: 40,501

私はスーファミ/プレステ世代で、ハードゲーマーというほどではないけれど、今でもゲームで遊んでいる。もっぱらオフラインで週に何時間か、といったプレイスタイルである。悲しいかな、休みの日ともなれば朝の五時から起き出し、居間にて電源を入れる、なんていうことは、もうない。それでも、思い出したかのようにプレイするのも案外楽しかったりして、ゲームを卒業するなんて、今のところ、夢のまた夢なのであった。

さて、詠坂雄二の『インサート・コイン(ズ)』は、マリオやぷよぷよ、ドラクエといった、ゲームを題材にした青春ミステリーである。取り上げられたゲームを見ればお分かりだろうが、30代直撃の内容となっている。もちろん、だからと言って、文章や内容が古臭いなんていうことでは全然なく、物語はむしろ若々しいほど。謎解きの面においても、「マリオに登場するキノコはなぜ動くのか」などといった素朴な問い立てや、その解釈が生みだす心地よさは、高田崇史や鯨統一郎といった作家の描く歴史ミステリーを彷彿とさせ、この手のミステリーが好きな人は、きっと気に入るんじゃないかと思う。

どの短編も面白いのだけれど、ひとつお気に入りをあげるなら、「そしてまわりこまれなかった」になるだろうか。

「そしてまわりこまれなかった」は、こんな話だ。老舗ゲーム誌に文章を寄せる、26歳を迎えたばかりのライター、柵馬朋康のもとにある日、<ドラクエⅢで最大の伏線が何かわかるか?>、たった一行、そう書かれた年賀状が届く。差出人は、宇波由和。柵馬の幼なじみで、ゲーム仲間だった男である。ところが、宇波はその年賀状を投函した直後、自殺していた。宇波が年賀状に遺した言葉の真意とは。

読んでいて、青春の終わりというのは、つまるところ「引き受ける」ことに始まるんじゃないかと、ぼんやり考えた。この短編には、ドラクエではお馴染みのある定型文が登場する(この言葉の物語への活かし方は、本当に素晴らしくて、センスあるんさな)。この言葉を、柵馬は静かに受けとる。それは、彼が積極的に引き受けた、というよりも、あまりに自然に、あたかも昔からの決め事だった、かのように、彼と彼の過去、これから彼が生きる世界が、友人の遺した、ゲームに登場する決まり文句に、しかしそれゆえに、凝縮され、差し出され、それを、彼は、だからこそ、引き受ける。引き受けるということは、自分の中に他者を招き入れる、ということである。柵馬はその言葉を通じて、友人の人生を、引き受けたのである。

他者を招き入れた柵馬は、もう、かつての柵馬たりえない。だからやっぱり、彼の青春はここで終わるんだと思う。他者を引き受け、柵馬はこれから違う私を、生きなければならない。これを青春の終わりと言わずして、なんと言おう。

しかし、終わりはまた同時に、始まりでもある。彼の青春は終わりを告げた。でも、きっとこれから、彼のあらたな「伝説」が、始まるのだ。

青春ミステリーの名品だと思う。帯で、米澤穂信が推薦文を書いているのだけれど、むべなるかな。

2017.01.25

男性作家が選ぶ太宰治 講談社文芸文庫

男性作家が選ぶ太宰治 (講談社文芸文庫)
太宰 治 奥泉 光 佐伯 一麦 高橋 源一郎 中村 文則 堀江 敏幸 町田 康 松浦 寿輝
講談社
売り上げランキング: 571,850

芥川龍之介や谷崎潤一郎は、少しばかり読んだことがあったのだけれど、そういえば太宰治は読んだことがない、ということに今更ながら気づいた。どれ、と思って読んでみる。と、これがすこぶる面白い、というより、素晴らしくないですか?ちょっとため息が出そうである。

たとえば「富嶽百景」。富士の頂角についての講釈からはじまって、<「いいねえ。富士は、やっぱり、いいとこあるねえ。よくやっているなあ。」>とくる。このすっとぼけているようで、大らかな感想が、鈍角な富士そのものずばりを言い当てる。たとえば「饗応婦人」では、夫人という存在の可笑しみを、<走り狂い>の一語で表現してしまう。「道化の華」のようなメタ・フィクションもあれば、「畜犬談」のようにスマートな短編もあって、自在である。

上手いなあ、と思う。小説が上手いだけじゃなくて、ちょっと鈍くさくて、あたたかいところがミソだ。そういうところが、わたしの心をくすぐるのだろう。

『女性作家が選ぶ太宰治』もあるとのことで、いつか読んでみたい。

選者/収録作 奥泉光「道化の華」佐伯一麦「畜犬談」高橋源一郎「散華」中村文則「渡り鳥」堀江敏幸「富嶽百景」町田康「饗応夫人」松浦寿輝「彼は昔の彼ならず」 

2017.01.10

東京を生きる 雨宮まみ/大和書房

東京を生きる
東京を生きる
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雨宮 まみ
大和書房
売り上げランキング: 6,255

彼女は「彼女自身」へと追いつくために、前へ前へと、走り続けたのだろうか。決して縮まることのないその距離に、疲れてしまったのだろうか。あるいは、気づいた時にはもう、彼女は「彼女自身」を追い越してしまっていた、のかもしれない。

2017.01.01

たべるしゃべる 高山なおみ/文春文庫

たべるしゃべる (文春文庫)
高山 なおみ
文藝春秋 (2012-03-09)
売り上げランキング: 165,509

料理家の高山なおみが、知人の家や職場を訪ね、よそのお宅の台所で料理し、食べ喋る、といった内容の本である。

登場する人たちは、予約一年待ちのプリン屋エゾアムプリンのカトキチとアムや、SUPER BUTTER DOGの元ボーカルで現在のハナレグミ・永積タカシ、雑誌『ku:nel』のアートディレクションを手がける有山達也だったりと、通好みの人選となっている、と思う。と思う、と書いたのは、実のところ、私の知っている人がいなかったからで、ひとりひとり検索しながら読んだ。おかげで彼らを知った今、ちょっとだけオシャレな気分でいる。

読んでみると、高山なおみの「君」「ちゃん」づけが気になった。彼女の呼びかけは、まるで学校の先生みたいだ。登場する人たちは、生徒たち。登場する誰もが、その「純粋さ」において子供みたいな人たちだから、「君」「ちゃん」づけがとてもよく似合っている。

「君」「ちゃん」のよいところは、呼ぶ側が込めた親しみを、呼ばれる側もはじめから知っている、というところにあると思う。「さん」だと、知っているというところが、もう少しぼやけている気がする。この本のお喋りは、そういう親しみを前提にしたお喋りだから、読者もゆったりとした気分で読むことができるんだろう。

お喋り相手との心地よい距離感。美味しそうな料理。文句なしの時間である。

2016.12.22

サブカル・スーパースター鬱伝 吉田豪/徳間書店

サブカル・スーパースター鬱伝
吉田 豪
徳間書店
売り上げランキング: 132,612

吉田豪の肩書のひとつに、プロインタビュアーというものがある。プロインタビュアー、なんという響きか。これはもう「発見」だと思う。いつ頃からあったのか、誰が「発見」したのかは知らないけれど、とにかく見つけた人はエラい。

おそらく昔からプロインタビュアーと呼ばれてよいような人はいた。でもそれはプロインタビュアーではなくて、それに類する人にすぎず、こうして名付けられるまで、やっぱりプロインタビュアーは存在しなかったのだ、と思う。この職業、吉田豪が言い出しっぺなのだろうか。名乗ったもの勝ちなのかもしれない。

さて、本書は「サブカルは40超えると鬱になる」という仮説を確認すべく、吉田豪がサブカルな中年男子に話を聴く、といった内容である。

リリー・フランキー、大槻ケンヂ、みうらじゅん、杉作J太郎、唐沢俊一などなど、おなじみな人にはおなじみの顔が並ぶのだけれど、彼らが「サブカル鬱」という紐でくくられているのは、ちょっと新鮮かもしれない。

サブカルは何かと忙しい。お酒を飲んだり、夜更かししたり。物欲を満たすためには足も使う。せわしなく動き続けることこそサブカルの本懐。体力が肝要なのである。でも、40歳を越えようかというその時、その忙しさに身体がついていかなくなる。ここにいたって、サブカル者は憂鬱になる。本書に登場する誰もがそのことを口にする。体力が落ちる、と。サブカル鬱は、体力の低下、それに尽きる。

どの話も元気のなさが良い味を出している。わたしのように、お疲れのおじさんに興味のある人は手にしても良いのでは。

最後に、わたしの好きなやりとりを挙げておきたい。みうらじゅんが「バカな仕事」を求められる苦労を語る場面である。ここ何度読んでも笑ってしまう。

【みうら】 寒い北海道で一生懸命頑張ってきた感じですよ(笑)。ホントはバカをやり続けるなんて思ってもみなかったし、自分はバカなことをやってる意識は一切なかったけども、世間的評価がそうだったから。そういうことをやっているときって、やっぱり「……俺、大丈夫かな?」と思いますよね。憧れの人がそういう人じゃなかったもんで。

【吉田】 ボブ・ディランはそんなことやらないし(笑)。

【みうら】 ボブ・ディランはしないっていつも思いますね。「どんな気がする?」ってディランに問われているのは、いつもそこですからね。

2016.12.06

「幸せ」の決まり方 主観的厚生の経済学 小塩隆士/日本栄在新聞出版社

「幸せ」の決まり方 主観的厚生の経済学
小塩 隆士
日本経済新聞出版社
売り上げランキング: 45,452

本書が取りあげるのは、主観的厚生という概念だ。ちょっと堅苦しい言い回しだけれど、言ってしまえば、「主観的=この私の」「厚生=幸せ」というほどの意味である。

これまでの経済学において「幸せ」は、富や生産といった形で捉えられ、少々構えが大きかった。でも、ふつうに考えれば「幸せ」の感じ方は人それぞれで、千差万別。富が増えたからみんな「幸せ」、なんていうふうには、なかなかうまくいかない。こうした経済学の見方は、ちょっと行き詰まっていたのかもしれない。でもここ最近、そうした画一的な「幸せ」ではなく、もっと私たちの実感にそった「幸せ」から経済や政策を見直してみよう、という気運が高まっているらしく、本書もそうした流れの中にある一冊だ。

具体的には、所得格差や家庭での役割分担、住んでいる場所や最初の就職先などが、人々の「幸せ」の感じ方にどう影響しているのか、が論じられる。「この私の幸せ」を経済学的/社会学的アプローチで分析しよう、というのである。

私が特に気になったのは、子供時代のいじめや虐待・ネグレクトと、大人になってからの主観的厚生の関係を論じた第4章だ。

著者の分析によれば、親から受けたネグレクトや虐待などは、いじめやその他のつらい経験に較べて、大人になってからの「幸せ」の感じ方に、より直接的な影響を与えるという。

今はこうしたつらい経験に対して、様々な社会的なサポートが用意されている。それは本当に素晴らしいことなのだ。ところが、親からの虐待に関しては、そうした社会的サポートの効果が薄いというのである。もちろん、社会的サポートに意味がないわけではない。ただ、その子に与える直接的な、社会的サポートでは緩和されない、影響があまりに大きいのである。

分析を通じて、ネグレクトや虐待といった問題に対しては、社会的サポートよりも、そもそもそういった問題が起こらないようにする為の政策により注力すべき、ということが分かってくる。

ある問題に対して誰に何をすべきかが、とてもクリアになった気がしないだろうか。著者は、主観的厚生を分析するメリットとして、以下の3点をあげている。社会の不公平な点が明らかになる、誰が困っているのかが分かる、大きな政策を個人レベルで考えることができるようになる。の3つである。第4章は、まさにこの主観的厚生をデータ分析することの意義が、はっきりと見えてくる章になっていると思う。

普段、データで物事を考えない私のような人間にとって、データ分析の大切さをひしと感じる一冊となった。

ちなみに第4章では、媒介分析呼ばれる分析手法が用いられている。媒介分析とは何か。巻末の用語集から引くと、<A、B、Cという三つの変数の間の関係を考えるとき、AがCに及ぼす影響は、Bが媒介してCに影響する部分と、Bを経由しないでCに直接影響する部分とに分割できる。その媒介効果が統計的にみて有意であるか、またはその効果は全体の影響をどの程度を説明するのか、といった点を分析する手法。経済学ではあまり用いられていないが、社会疫学などその他の分野ではよく用いられている>、とあって、なるほど、です。

2016.11.27

現代小説クロニクル2005-2009 日本文藝家協会編/講談社文芸文庫

現代小説クロニクル 2005~2009 (講談社文芸文庫)

講談社
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10年ぐらい前がいちばん遠い。そんな気がする。いっそもっと遠い昔なら、かえって身近だったかもしれない。  2005年の私は一体何をやっていたのだろう…。『現代小説クロニクル』シリーズの第7弾は、そんな不思議な時代、2005年から2009年に発表された短編が、収録されている。

いつも通りで安心したのが、江國香織と田中慎弥。 

江國香織の短編はいつも、いつかどこかで読んだことがきっとあるような、そんな作品なんだけれど、やっぱり面白くって、そういう小説を書けるのが江國香織という作家の魅力なんだろう、と思う。

  田中慎弥もいつもの田中慎弥で安心した。どこまで田中慎弥でいけるのか。それが楽しみ。

なにやら謎めいているのは、平野啓一郎と川上未映子。

 平野啓一郎はずいぶん昔に読んだっきりで、はてさてと思って読みはじめた。色彩を失った街に立つ女が四人。裸にコートを羽織り、nippleには、宝石が輝く。短く、SFのようであり、ミステリーのようでもある。そうか、エドワード・ゴーリーの描く世界に似ているんだと、膝を打つ。本短編集の中では、異色の作品である。

 川上未映子の作品も、ふたつの不安が奇妙な緊張感を生み出し、謎めいた雰囲気を醸しだす。こういう小説の終わらせ方は、川上未映子の作品では珍しいのでは。意表をつかれた。

マンションの管理人を描いた佐伯一麦の作品は、ふいに登場する「むかご」が、妙に不気味だったりする。一見なんでもなさそうで、どっこい一筋縄ではいかない短編である。

 伊井直行は再読。ようするに露出狂の話なんだけれど、それをヌード・ウォークとか名付けてしまうところに、伊井直行のユーモアがある。

吉田修一の短編もいい。<「上で、知り合いが待っているんです」(中略)そう言ってしまえば、本当に誰かが待っているような気がしてくる。人はいつも、もう一人の私を探している。>しみじみ。

 人間に織り込まれた「歴史」を描いているのは、楊逸の作品。時を重ねた人間の、強さと後悔が、中年の身にしみる。この作品について、あとがきで川村湊が面白いことを書いている。この短編は、他の作品と較べて、いかにも古風な人情劇に思える。しかし、楊逸が、日本語を外国語として学んだ「日本人作家」ということを考えれば、きわめて「実験的」な作品として理解される、というのだ。なるほど、そう言われると、ずいぶん印象が変わる。解説のちょい足しが、小説の旨味を増す好例である。

雰囲気が似ているのは、小川洋子と青山七恵。

小川洋子の短編は、ホテルのドアマンと口をきかない少女の話。優しくて、とても強い。澄んだ内なる輝きが、ほんとうに気持ちのいい短編だった。個人的に一番好み。小川洋子、面白いよね。

青山七恵の作品も、最後の場面がいい。静穏な、でもどこか曖昧な空気が、ひゅっと上昇していく。描かれることのない父の視線の先は、おそらくとても美しい。

 柴崎友香は、ROVOというバントの音楽ライブを小説にしてしまった。ライブを客観的に描くのではなく、その時その場に存在した音と光の渦を形にしようとしたその心意気、まず買いだ。柴崎友香は、ROVOの演奏を聴きながら、この小説のことを考えていたという。演者も観客も、ひとつの音と光になって舞いはじめたその時、彼女の思考もまた、その渦に溶け込んで、彼女の小説はその夜、音楽になったのかもしれない。そんな風に夢見てしまう。

 収録作 江國香織「寝室」佐伯一麦「むかご」平野啓一郎「モノクロウムの街と四人の女」伊井直行「ヌード・マン・ウォーキング」小川洋子「ひよこトラック」吉田修一「りんご」田中慎弥「蛹」楊逸「ワンちゃん」川上未映子「あなたたちの恋愛は瀕死」青山七恵「かけら」柴崎友香「宇宙の日」