2017.10.19

死してなお踊れ 一遍上人伝 栗原 康/河出書房新社

死してなお踊れ: 一遍上人伝
栗原 康
河出書房新社
売り上げランキング: 34,228

本書は、アナキズム研究家・栗原康が一遍上人をその身に憑依させ、踊り唱える、アジテーション本である。『はたらかないで、たらふく食べたい』といい、『村に火をつけ、白痴になれ』といい、相変わらずタイトルセンスに目を見張るものがある。こうしたタイトルの勢いは、そう真似できるものじゃない。『はたらかないで、たらふく食べたい』という文言を書店で見かけたときなど、おもわず両手で飛びついたものだ。

さて、一遍上人である。一遍は鎌倉時代に活躍した僧侶で、時宗の開祖とされる。が、ここに、宗派の始祖と呼ばれる人物として、ふつう思い浮かべるような男の姿はない。ここには、ただひたすらに踊り唱える、ひとりの男があるだけである。

念仏をとなえる者は、知恵も愚痴もすて、善悪の境界もすて、貴賎高下の区別もすて、地獄をおそれるこころもすて、極楽往生をねがうこころもすて、諸宗派のいう悟りの境地もすて、いっさいのことをすててしまって、ただ念仏をとなえていればいい。

一遍の考えは、ここに集約される。これ以外にない、といってもいい。あとはただ、執着に追いつかれぬよう、踊り唱え続けるだけである。とてもシンプルで、だからこそ強く惹かれる。

ところで、一遍の生涯を追う本書だが、一歩間違えれば退屈な一冊になっていた可能性もあったんじゃないか、とも思う。どうしてかって言うと、結局一遍の言っていることは、いつ何時も同じだからである。その都度エピソードは変われど、言っていることは基本的に変わらない。捨て唱えよだ。

となれば、内容の反復はどうしたって避けられない。そして、繰り返しは単純に、飽きる。実のところ本書は、そのほとんどが繰り返しでできていると言っても過言ではなく、下手をすれば、途中で放り投げられていた可能性は大いにあったと思う。

しかし本書は、繰り返しを恐れなかった。そこが分かれ道。そこがすごい。堂々と繰り返す。繰り返しが半端でなかった。それが一遍の教えそのものでもあるからだが、結果的に、繰り返しが強みに変わった。栗原康の軽妙な語り口を武器に、繰り返しを増幅させ、踊り念仏にも似たねばりの渦を作り出し、その中に読者を引き込むことに成功したのである。

一遍と栗原康の相性が、思いのほか良かったのだろうか。このグルーブ感、話題になるのも頷ける。

2017.09.23

働く女子の運命 濱口桂一郎/文春新書

働く女子の運命 ((文春新書))
濱口 桂一郎
文藝春秋
売り上げランキング: 19,062

この本は、日本型雇用システムの歴史について書かれている。新書らしいタイトルとは裏腹に、とても濃い内容の一冊である。

この濃さは、生活給思想であるとか、メンバーシップ型雇用であるとか、といった、日本特有の雇用環境が、複雑かつ密に絡みあい、ときに倒錯的に、歴史を重ねてきた結果であり、そのややこしさそのものに由来する。

読みづらいわけではない。むしろ、解説としては分かりやすい。複雑怪奇なシステムとその歴史を紐解こうとすれば、多分こうなるのだ。

ここで問題にされる日本型雇用システムが、仮に(というより、おそらく事実)慣行だからという理由だけで成り立っていて、その慣行によって私たちの「運命」が決められてしまっているのだとしたら、これはもう悲しさに加えて、そうであるということそれ自体に、憐れみさえ感じてしまう。

なんというか、もそっと「楽」になるといいのだけれど…。

2017.08.26

バングルの虎 シャーノン・アハマッド 星野龍夫 訳/(財)大同生命国際文化基金

シャーノン・アハマッド『バングルの虎』星野龍夫訳,財団法人大同生命国際文化基金,1989年.

『バングルの虎』はマレーシアの小説である。「アジアの現代文芸」と銘打たれたシリーズの1冊で、シリーズにはマレーシアの他にも、タイやバングラデシュなどの国名が並んでいる。このシリーズ、書店販売はないようで、各県の公共図書館や電子書籍で読むことができる。

著者のシャーノン・アハマッドは、1933年西マレーシア、クダ-州シク郡生まれ。紹介によれば、マレーシア科学大の人文学部教授兼イスラーム・センター所長とある。本作の他にもいくつかの小説を書いていて、『バングルの虎』は1965年の発表されている。

小さな農村で、ある日、村の会合が開かれた。村長は皆に向かってある提案をする。政府の援助を受け、村で米の2期作をしないか、というのである。1年に2度田植えをすれば、村の収入は4倍になる。種籾や肥料、水にトラクター、必要なものはすべて政府が用意してくれる。これ以上ない話に、その場の誰もが喜び、賛同する。

ところがこの援助には、村人全員が参加すべし、という条件がついていた。村が一致団結しなければ、援助は得られない。この条件を聞いて、村人たちは顔を曇らせる。どうしてかっていうと、村には、村の嫌われ者、パ・カサ一家がいたからだ。この一家、よその牛の足の腱を切っただとか、いい噂がない。でも、彼らを計画に引き込まなければ、村は経済的に遅れをとってしまう。どうにかして、一家を説得しなければならないのだけれど……。

1960年代のマレーシアを舞台にする『バングルの虎』には、近代化と素朴な生活世界との対立が描かれている。この頃のマレー半島周辺は、1957年にマラヤ連邦がイギリスから独立し、63年にはマレーシアが成立、65年にはシンガポールが独立するなど、歴史的な転換期にあって、人々の暮らし方が大きく変化していたからだ。

ただ、テーマは大きいけれど、物語は単純で、単純なところがこの小説の良いところだと思う。読んでいるうちに、いくつかの田圃や畦を隔てて人の気配を静かに感じる、あの心地よさを思い出した。

物語の始まり、夕暮れの水田を村人のジュソフが見やる場面。

竹柱で支えられた竹張りの床の隅に腰を下ろし、足を伸ばして腹の飯をこなしていた。彼は火のついた葉煙草を一本口にくわえていた。口から煙を吐き出し、前方に広々と拡がった水田を眺めやっていた。月の出にはまだ時間があった。でもジュソフは前方にある田圃を一枚一枚頭の中に描き出せた。当然知っていた。田には水がためられているところだった。
数日後に近所の住民たちは誰もが伸びきったムヌロン(スゲの一種)の除草作業で忙しくなるはずであった。ジュソフも何か異常でも生じぬ限り、もう明日からでも始めていいなと考えていた。

この後、ジュソフは村長の家へと向かうのだけれど、その途中、夕闇の中で、いるはずのないパ・カサのひとり息子スマウンに怯え、松明を田圃に落としてしまう。

彼は夜の暗闇にすっかり取り囲まれ、一寸先も見えなかった。身の周囲には闇の黒しかなく、自分が本当に盲いたのかと思われた。村長の家からはわずかに縁先の広間に置かれているらしい灯油ランプの光が洩れてくる。ジュソフは畦の上でうずくまるように腰を低めた。左手をしっかと長い刀に当てた。スマウンの襲いかかるのを待ちかまえた……。
だがスマウンは現れなかった。再び辺りは静けさに満たされた。
(中略)
彼は何かにあざむかれていると感じた。ジュソフは自分の感情にあざむかれていた。
「ジュソフ」
村長の家の方から誰かが呼ぶ声がした。ジュソフはその呼び声に答えるように、大声を張りあげた。

私は、この場面がとても好きなのである。いくつかの田圃をはさんだ向う側に光が見え、人の気配がする。その短い距離のなかに、世の中のすべての出来事と、あらゆる人の思いがまるごと収まっているかのような、小さな畦道が世界そのものであるかのような、そんな気がして、不思議な安心感を覚えるのだ。

2017.08.10

表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬 若林正恭/KADOKAWA

表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬
若林 正恭
KADOKAWA (2017-07-14)
売り上げランキング: 75

行きたいところへ行ってみる。人はきっとそれを「旅」と呼ぶんだろう。行きたいところは、どこでもいい。ごてごてした理由はいらない。そこへ行きたいから。それぐらい単純なのが、一番いい。

この本のなかで、若林はキューバへ行く。とてもシンプルな動機で。読んでいるうちに、彼の行きたいところへ行けた感動が、すっかり伝わってくる。いい旅だったんだな、と思う。

2017.07.16

感じて。息づかいを。 光文社文庫

感じて。息づかいを。 (光文社文庫)

光文社
売り上げランキング: 470,329

恋はひとりでもできるかもしれないが、恋愛は誰かがいないと始まらないし、誰かといるから、きまって悲しい。

恋愛は、悲しい。それは、恋愛において起こりうる別れという出来事が、悲しいからではない。その悲しさは、私だけのものであろう。そうではなく、もっと別の理由で、恋愛は悲しいのである。その悲しさは、誰かと関係する、関係しているという事実それ自体に由来する。ここに並べられた作品と同じように、人は、愛する人と、桜や山桑と、犬や兜虫と共に、そこにある。しかし、人はまた同時にそのことが、誰かといるということが、どうしようもなく悲しいのではないか、と思う。だから、恋愛はいつも悲しいのだ。

お気に入りは、「武蔵丸」「花のお遍路」「可哀想」「悲しいだけ」の4編。「花のお遍路」と「悲しいだけ」は好み。「武蔵丸」と「可哀想」は上手いなあと思う。どれも読み飽きない。

収録作 坂口安吾「桜の森の満開の下」車谷長吉「武蔵丸」野坂昭如「花のお遍路」よしもとばなな「とかげ」伊藤比呂美「山桑」H・エリスン「少年と犬」川上弘美「可哀想」藤枝静男「悲しいだけ」

2017.06.06

風景との巡り合い(東山魁夷小画集) 新潮文庫

風景との巡り合い (新潮文庫―東山魁夷小画集)
東山 魁夷
新潮社
売り上げランキング: 126,822

東山魁夷というとカレンダーのイメージがあって、失礼ながらこれまで大した興味を持っていなかったのだが、このあいだ「美の巨人たち」というテレビ番組を観ていたら、「残照」について紹介されていて、その絵には私の泣きどころをつくエピソードが秘められているらしく、そういう話に弱い私はすぐに感化されるから、はじめて真面目に彼の絵を観てみると、ばーん、ときた。

今まで私は東山魁夷の何を観てきたんだと、膝をつきたくなるような絵なのである。驚くほど良い。なんなら欲しい。

東山魁夷の絵からは、音の形をしていない音がする。音のないざわめきが、画面の向こうからやってくる。そしてそれは、絵の縁を超え、私を超えて、遠く後方の彼方へと開け、広がっていく。その時、私は彼の絵の中に立つことができるのだ。

文章もまた素晴らしくて、ずるい。

2017.05.23

おいしいロシア シベリカ子/イースト・プレス

おいしいロシア (コミックエッセイの森)
シベリカ子
イースト・プレス (2016-09-07)
売り上げランキング: 5,811

よその国のご飯って、どうしてこんなに美味しそうなんだろう。不思議でならない。

シベリカ子による、ロシア滞在コミックエッセイである。全編カラーで絵も可愛い。レシピもシンプルで、特別な材料がなくても作れそうなものばかりなのがありがたい。

まずは、ロシア版サワークリーム「スメタナもどき」を手始めに、である。

2017.05.14

パークアヴェニューの妻たち ウェンズデー・マーティン/講談社

パークアヴェニューの妻たち
ウェンズデー・マーティン
講談社 (2016-04-15)
売り上げランキング: 67,739

ニューヨークの高級住宅街に住むお金持ち達のド派手な生活に驚く、というよりも、ニューヨークの売れっ子ライターによる、育児エッセイだと思って読むと面白い、んじゃないかと思う。もちろん、私は彼女を知らないから、その面白さは半減しているのだけれど、ニューヨークにもこうやって物を書いている人がいるんだなあ、と思いを馳せるのは、悪い気分じゃないのである。

2017.05.03

太陽の坐る場所 辻村深月/文春文庫

太陽の坐る場所 (文春文庫)
文藝春秋 (2012-09-20)
売り上げランキング: 30,704

旧友の集まるクラス会で一番の話題といえば、そこにいない人間についてなわけで、その人が今や押しも押されもせぬ人気女優ならなおのこと、卒業以来一度も顔を出したことのない彼女をどうやって誘おうか、思い出話以上に膨らむ期待と戸惑いが、その場を盛り上げる。でも、懐かしさだけが彼女に会いたい理由なんだろうか? みんな本当は誰に会いたいんだろう。

『太陽の坐る場所』は、仲の良かったグループ5人の今と昔が、5章立てでそれぞれ語られる青春ミステリーである。女優となった不在の太陽キョウコをめぐる、ひとつながりのミステリーとして読むこともできるだろうし、各章をそれぞれ独立した5人の物語として楽しむこともできる。それらは、夢を追い続ける苦しさであり、秘められた友情であり、忘れられない輝きであり、私を生きる決意であり、ちいさな恋の物語だったりする。読み終えたらきっと、お気に入りの章や登場人物が見つかるんじゃないかと思う。

私は5章を押す(2章もいいから悩むんだけれど)。最後の場面で、ある人からある人へ、小さな紙が手渡される。その瞬間、わっと光が差す。柔らかいその光に、とても素直な美しさが感じられるのだ。小説のモチーフである<アマテラスの岩戸隠れ>が、一番ハマっている場面だとも思う。

たぶん光は過去からやってきた。この光が、明るい未来を約束するものなのかどうか、それは分からない。もしかしたら、この先、主人公の人生は何も変わらないのかもしれない。でも、確かにその時その場に光は差し、誰にも予想することのできない未来が開けたのである。その木漏れ日のような光は、普遍的で、それぞれ違った形をとるにせよ、ここに登場する5人に等しく降りそそぐ。

その未来への開かれはやっぱり青春だなあ、と思うのである。

2017.04.05

心変わり ミシェル・ビュトール/岩波文庫

心変わり (岩波文庫)
心変わり (岩波文庫)
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ミシェル・ビュトール
岩波書店
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