2017.08.26

バングルの虎 シャーノン・アハマッド 星野龍夫 訳/(財)大同生命国際文化基金

シャーノン・アハマッド『バングルの虎』星野龍夫訳,財団法人大同生命国際文化基金,1989年.

『バングルの虎』はマレーシアの小説である。「アジアの現代文芸」と銘打たれたシリーズの1冊で、シリーズにはマレーシアの他にも、タイやバングラデシュなどの国名が並んでいる。このシリーズ、書店販売はないようで、各県の公共図書館や電子書籍で読むことができる。

著者のシャーノン・アハマッドは、1933年西マレーシア、クダ-州シク郡生まれ。紹介によれば、マレーシア科学大の人文学部教授兼イスラーム・センター所長とある。本作の他にもいくつかの小説を書いていて、『バングルの虎』は1965年の発表されている。

小さな農村で、ある日、村の会合が開かれた。村長は皆に向かってある提案をする。政府の援助を受け、村で米の2期作をしないか、というのである。1年に2度田植えをすれば、村の収入は4倍になる。種籾や肥料、水にトラクター、必要なものはすべて政府が用意してくれる。これ以上ない話に、その場の誰もが喜び、賛同する。

ところがこの援助には、村人全員が参加すべし、という条件がついていた。村が一致団結しなければ、援助は得られない。この条件を聞いて、村人たちは顔を曇らせる。どうしてかっていうと、村には、村の嫌われ者、パ・カサ一家がいたからだ。この一家、よその牛の足の腱を切っただとか、いい噂がない。でも、彼らを計画に引き込まなければ、村は経済的に遅れをとってしまう。どうにかして、一家を説得しなければならないのだけれど……。

1960年代のマレーシアを舞台にする『バングルの虎』には、近代化と素朴な生活世界との対立が描かれている。この頃のマレー半島周辺は、1957年にマラヤ連邦がイギリスから独立し、63年にはマレーシアが成立、65年にはシンガポールが独立するなど、歴史的な転換期にあって、人々の暮らし方が大きく変化していたからだ。

ただ、テーマは大きいけれど、物語は単純で、単純なところがこの小説の良いところだと思う。読んでいるうちに、いくつかの田圃や畦を隔てて人の気配を静かに感じる、あの心地よさを思い出した。

物語の始まり、夕暮れの水田を村人のジュソフが見やる場面。

竹柱で支えられた竹張りの床の隅に腰を下ろし、足を伸ばして腹の飯をこなしていた。彼は火のついた葉煙草を一本口にくわえていた。口から煙を吐き出し、前方に広々と拡がった水田を眺めやっていた。月の出にはまだ時間があった。でもジュソフは前方にある田圃を一枚一枚頭の中に描き出せた。当然知っていた。田には水がためられているところだった。
数日後に近所の住民たちは誰もが伸びきったムヌロン(スゲの一種)の除草作業で忙しくなるはずであった。ジュソフも何か異常でも生じぬ限り、もう明日からでも始めていいなと考えていた。

この後、ジュソフは村長の家へと向かうのだけれど、その途中、夕闇の中で、いるはずのないパ・カサのひとり息子スマウンに怯え、松明を田圃に落としてしまう。

彼は夜の暗闇にすっかり取り囲まれ、一寸先も見えなかった。身の周囲には闇の黒しかなく、自分が本当に盲いたのかと思われた。村長の家からはわずかに縁先の広間に置かれているらしい灯油ランプの光が洩れてくる。ジュソフは畦の上でうずくまるように腰を低めた。左手をしっかと長い刀に当てた。スマウンの襲いかかるのを待ちかまえた……。
だがスマウンは現れなかった。再び辺りは静けさに満たされた。
(中略)
彼は何かにあざむかれていると感じた。ジュソフは自分の感情にあざむかれていた。
「ジュソフ」
村長の家の方から誰かが呼ぶ声がした。ジュソフはその呼び声に答えるように、大声を張りあげた。

私は、この場面がとても好きなのである。いくつかの田圃をはさんだ向う側に光が見え、人の気配がする。その短い距離のなかに、世の中のすべての出来事と、あらゆる人の思いがまるごと収まっているかのような、小さな畦道が世界そのものであるかのような、そんな気がして、不思議な安心感を覚えるのだ。

コメント

非公開コメント